女子ラグビーを応援するブログ

2017年8月には女子ワールドカップラグビー、2020年東京五輪では7人制ラグビーが。女子ラグビーに注目

サクラフィフティーン選手紹介 2.江渕まこと選手

 サクラフィフティーンの選手紹介。第2回目は江渕まこと選手。フォワードの選手です。

 

江渕まこと 女子日本代表 選手プロフィール|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。

 

 彼女を知ったきっかけはTwitterの「#江淵フォロワー1万人計画」という企画でフォロー。タックルの強さをアピールしていたので、ニックネームを「Cuty dynamoダイナモはサッカーと同じく運動量豊富な選手で、彼女もそんな印象だと思いました。

 しかし、経歴等を調べていくうちに、「何も言えねえ(by北島康介」と思いました。「思い立ったら、即実行」この思い切りの良さがプレーにも出ているのではないでしょうか。

 彼女の名前が知れ渡ったのは2016年6月。日本国内の7人制ラグビーのシリーズ戦「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ 東京大会」で「チャレンジチーム」として出場し、準優勝に貢献した事です。

 太陽生命ウィメンズセブンズシリーズは、国内の7人制ラグビーチームが戦うシリーズ。チャレンジチームとは、単独チームでは出場できないチームの選手、またはチームのメンバーに入れなかったものの、将来性が高い選手が中心に構成されたチームです。

 江渕選手が所属する青山学院大学ラグビー部の女子ラグビー選手は彼女ただ一人青山学院大学ラグビー部のHPを見ますと、女子で選手登録されているのは彼女のみ。他の女子部員はマネージャーとしてサポートしています。

 

 江渕選手の父親サニックスラグビー部の初代主将。このサニックスラグビー部は現在では男子のラグビートップリーグの宗像サニックスです。そんな父を持つ江渕選手は当然、小さい頃からラグビーボールを持っていた?

 彼女がラグビーを始めたのは高校1年生の時でした。しかも、前の部を辞めて、途中入部で彼女のラグビーキャリアが始まりました。では、それまで何をやっていたのか?

 実は江渕選手の中学時代は陸上をやっていました。福岡県内では有数の陸上の強豪校。しかも、3年生の時には部長を務めたとの事。主にハードルを行っていた彼女。全国中学校体育大会に参加できるまであと僅かの所まで進みました。

 高校は福岡県立福岡高等学校。地元では御三家(残りは県立修猷館高等学校と県立筑紫丘高等学校)と呼ばれる進学校。2016年にノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典氏がOBです。そこでも、陸上部に入りました。

 

 ところが、福岡高校で彼女は「ある壁」にぶつかりました。強豪校の陸上部でのハードな練習に慣れた彼女。一方で入学した高校の練習とのギャップ。このギャップを3年間耐えるのも1つの選択ですが、

 「180°見方を変えて他のスポーツを始める」事を選びました。

 例え、失敗しても何か得られると信じて。1年生の途中で陸上部を辞め、「初心者のまま」としてラグビー部に転部。

 彼女にとって支えになったのは同年代の2人です。同じハードルで争った子が高校でラグビー部を選んだ子。もう1人は、同じ学年で先にラグビー部に入った野田夢乃(ゆめの)選手の存在。この2人がいなければ、江渕選手の高校生活は別の物になっていたでしょう。

 

 高校3年生。将来の選択が迫る時が来ました。ここで、江渕選手は「とんでもない行動」に出ます。

 

 「女子でもラグビー部に入れますか?」

 

 と関東の大学のラグビー部に直接アポイントメントを取っていました。大学でも女子ラグビー部はあります。

 しかし、「日本代表になりたい」と思った彼女は「外国の選手に負けない体を作るなら、普段から男子に混ざって練習がしたい」。一見、無謀にも思える彼女の行為を受け入れてくれたのが現在の青山学院大学ラグビー部です。

 福岡から離れ、自炊生活となった江渕選手は栄養のバランスを専門家に相談しながらの食事。それによって体を作り上げていく。青山学院大学ラグビー部以外では女子のラグビーチーム「東京フェニックス」に所属し、そこでも自分を追い込む日々。

 そして、2016年12月の「女子ラグビーワールドカップ2017 アジア・オセアニア予選」で初めての代表入りを果たしました。

 

 2017年7月30日。「2017年女子ラグビーワールドカップアイルランド大会」のサクラフィフティーンのメンバー発表。そこに江渕選手の名前がありました。そして、もう1人。福岡高校で一緒に過ごした野田夢乃選手がバックスで選出。

 

 高校卒業後、お互いの道を歩んだ2人が世界に挑みます。

 

 太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ東京大会で将来の目標はと聞かれると、

 「15人制の女子日本代表になること」

 と言った江渕選手。それから1年と2ヶ月。彼女は目指していた世界の強さを体感しに行きます。